マーティ。さんが投稿したカスタム事例
2025年06月25日 21時30分
何年ぶりかの出戻り者です。某◯◯◯ラのHNと統一(笑)
昨日、母が亡くなりました。
6日、言動がおかしいので救急車を手配して、脳神経外科へ。くも膜下出血で即入院。9日緊急手術に成功して、回復すれば治る予定でしたが、心臓の状態が悪く、肥大し、肺を圧迫、水が溜まっていて、循環器内科に転院し診てもらったら、、心臓がもう末期の状態で、開口して手術しても、御高齢なので耐えられないだろうとか、それよりも、薬で、痛みを取り除く治療にするかと選択を、迫られ、家族で相談し、後者に。
母は、5日間頑張りました。
4日目は姪っ子の誕生日なので頑張ってと姪っ子達に励まされました。
翌日は、父の命日です。
付き添いで泊まった姉と5時に交代し、付き添いました。10時に病院のコンビニ弁当を食べた時は、とても安定した波形で、このまま1週間位持ちそうな気がしましたが、お昼ごろから徐々に数値が落ちてきて、看護婦さんに、その事を告げると、会いたい方を呼んで下さいとの事で、呼んでいる最中に数値が0になって、波形は直線に成ってしまいました。
姉が来て、先生が脈拍と目を開けて診て、御臨終と成りました。
最悪の事態を考えて、数日前に用意しておいた、葬儀会社に連絡して、来てもらい、帰宅しました。
父の時と同じで、何もやるなという遺言でしたので、通夜、葬式は行わない自宅安置プランです。
葬儀会社が母を布団に寝かせてくれました。
姉夫婦と姪っ子達、姪っ子の子供が来てくれてお線香をあげて。
母の顔にお化粧品と髪のセットをしてくれました。
次の日は、枕経を父のお墓が有るお寺の和尚さんにあげてもらい、位牌をお渡しし、戒名を考えてもらう手配をしました。
そして、葬儀会社が布団から棺に移すのを手伝ってから、
旅立ちの装飾衣装を母に着せてあげました。
夕方、姉がお花を用意して持ってきてもらい、母の遺影は、姪っ子達がカメラの◯◯◯◯で作ってきてくれました。
明日、朝早くから出棺して火葬場で今日の和尚さんが御経をあげる予定です。
三年前の父の命日と同じ命日を選んだ母には、感服してしまいます!
93歳まで生きてくれてありがとうお母さん。
天国で親父と一緒に僕たちを見守ってください。