RR,RY0♡さんが投稿した昭和二十年五月二十四日に関するカスタム事例
2025年05月24日 06時59分
Xとかみてると
自分のクルマが出てくることあるよね👀
今日は5月24日
昨日23日はさとうしおりさんが来てくれました😊
日本を守りたい!この想いに政党は関係ないですからね
本日5月24日は田母神さんが応援に来てくれます🙇
私も仕事終わらせてから浦和駅行ってくる~🚙💨
5月24日 出撃の日
画像と文は参政党高井ちとせさんXから🙇
健軍自衛隊駐屯地内にある「義烈空挺隊慰霊碑」に昨年夏以来の訪問。尊い命を捧げられた御英霊に、感謝と崇敬を捧げるため献花して参りました。
義烈空挺隊とは、大東亜戦争末期の昭和20年5月、アメリカ軍に占領された沖縄の飛行場を攻撃するために編成された精鋭の特別攻撃隊です。
隊長は若干26歳、陸軍幼年学校出身の
エリート、奥山道郎大尉でした。
昭和19年7月サイパンが米軍に占領されたことにより、東京はB29の爆撃圏内に入ることになります。
その後B29が飛来するたびに日本の主要都市は火の海となり、一般市民の命が奪われます。
これを何とかしなければと考えられたのが、義号作戦でした。
既に制空圏、制海権を失っていた沖縄。
そこに強烈な対空砲火を浴びながら、強硬着陸。B29を焼き払い戦闘能力を奪うという作戦でした。
昭和20年5月24日
それぞれの故郷に向かい遥拝し、夕陽が沈む金峰山を背に12機168人が熊本市健軍飛行場を飛び立ちました。
義烈空挺隊の沖縄本島への壮絶なる突入は内外に大きな衝撃を与えることとなり、
甚大な損害を受けた米軍は忠烈の凄まじさに畏怖の念を強くしたと言われています。
硫黄島の戦い同様当時の方々の想いは、
【一日でも米軍による本土爆撃を遅らせ、残してきた家族、特に女性や子どもたちを守りたい。そして、それを何とか足がかりにして日本を再興してほしい。】
その一心だったのではないでしょうか。
「無謀な戦争だった」と言われることもありますが、しかし当時の歴史を見ると欧米列強が跋扈し、アジアやアフリカでほぼ唯一日本だけが自力で独立を保っていた時代。
英霊の方々が戦っていなければ私たちは存在しないどころかアジアやアフリカの国々も独立できず未だに苛烈な植民地支配が続いていたかもしれません。
度々訪れることで、いま我々が生かされていることへの感謝。そして私自身、何のために政治に関わっているのかを思い出させていただいています。
ちとせさん
いつもその場の雰囲気明るくしてくれてありがとうございます🍊
今度会った時は👫ツーショット撮らせてもらおう😄
昨日は参政党での活躍もありました😊
他支部のチラシ配りに参加🟠
脚の長い女子高生が「一枚下さい👩♪」ともらいに来てくれてテンションアップしたとか、しないとか😄
🟠夕方は場所をかえて辻立ち😄
交通量は多いが人はほとんど歩いてない道だったが、通った男性三人が三人とも参政党応援してる!と声かけられました😊
ちょっとテンションアップしたとか、しないとか